言葉について考えることがままあります。
かといって、言語学や文法に詳しいわけでもなく
英語も学生時代に培ったハズが今や跡形もありません。
外国語や和製英語は覚えづらくて
漢字の字面から伝わる印象や、日本語のリズム・音の響きはなんだかよくわかる。
たぶん私にとっての言葉は、体に馴染んでいるかどうか。
今回、個展用の作品タイトルが浮かんだ時、
あらためてそういうものだ、と実感しました。
ふっと浮かんで決めたタイトル、
「よをこめて」
「わたのはら」
「つきみれば」
その他「かよいじ」「なぎさつぐ」など、
和歌の枕詞につられるように出てきた言葉たち。
音の運び、やわらかさ、物語性、
なんてしっくりくるんだろうと驚きました。
小さな頃に楽しんで覚えた百人一首のあの5音が
体のどこかで血となり肉となり、いまこうして描く絵を象ってくれるのだと思うと
言葉にならないものがあります。
タイトルは、作品とそれを観る人の橋渡しだとも言われます。
そして作り手の道標でもあると思っています。
その言葉を見つける、ただそれだけのことでためらわずに描いていける。
言葉は私にとってそういったものでもあります。