言葉にできないことがあります。
言葉にできない時は声にもならないもので
ただずっと、頭の中と胸の底の方でそのことだけが浮き沈みをしている。
表現、とはいうものの
本当にそっくりそのまま「現す」ことなんてできないのになぁと思いながら
それでも言葉に、形に、動きに、声に、しようとすること。
届かないながらも近付こうとするその力を自然と皆が持っていること。
言うなれば、これが「生きる力」の1つなんだろうなぁと思います。
三浦しをんさんの著作に『秘密の花園』という小説があります。
高校生の頃から、何度も読みました。
その中で「ノアの箱舟に乗せるならどの動物か」という問いかけに
「人間を乗せる」と答えたその理由が妙に忘れられません。
「他の動物と違って、言葉を使ってお互いに近づこうとするから。」
開いたままだった手元の本を、栞を挟んでぱたりと閉じた。うまく言えない。残りの言葉は胸の内で続けた。でもそうやっていくら近づこうとしても、ふとした瞬間に一人になってしまう。だからよ。三浦しをん.秘密の花園.株式会社マガジンハウス,2002
不完全な言葉には託せない気持ちもあります。
言葉にしたところで、その届かなさを自分では知っている。
言葉の足らなささ、言い尽くされないことで生まれる広さ、
なんとも果てしなく途方もなく、手に負えず
それでも何か言葉にできればと、もがいてしまう。
誰かに、自分に、もっと近付こうとする。
言葉にできない時の、
咽喉がつまるようなやるせなさをそれでも抱えるのは
やはり近付こうとせずにはいられない「力」なのだと思います。