
“考え事には「馬上・枕上・厠上」が適している、それをしみじみ痛感する”と
昨年の7月にもこちらのコラムで触れました。
COLUM 人のこころ
深く考え抜く、というよりは
なにかふっと抜けていくような、良い思い着きが得られる。
そんなことが昨日もありました。
昨日は大阪へ。
実に2年ぶりでしょうか。
もともとプライベートで遠出しないタイプのため
市外に出るとなると少しばかり緊張します。

楽しく用事を終えて、帰る電車の中。
車窓から見慣れない景色を見送りながら
手元の本を読みながら
ふっと「虹の絵を描こう」、そんなことを思いました。
同時にいくつかふわっとイメージも浮かんで、
アトリエに帰ってから簡単なエスキースをとって。
ドキドキと興奮するでもなく、わりと落ち着いている自分を感じながら
作品にできる可能性が高いかな、と思い。
今まで候補にあがることもなかった「虹」というモチーフは
気付いてみれば「水」や「月」や「光」といった私のこれまでのモチーフと
なんと似ていることでしょう。
虹の降りるところ。
虹の立つところ。
そこには水があると言います。
空と大地、憧れと現実の交わり。
そうしたものとして、虹立つ場所は存在する。
少し背伸びしながら乗る電車の中で、
けっして自分では移動できない速さの中で、
心はどこか遠くに解き放たれるのかもしれません。
放たれた心が持ってきてくれたなら
たぶん根っこのところはもう得ているもの。
あちらとこちら、ここではないどこか、
心に浮かぶ遠い景色。
手の届かない憧憬、透明な光。
虹の絵を描いてみようと、そんな風に思っています。
