
先日、Creemaでも販売を開始しました『葉の光る』
植物に感じるまたたきや、ほのかな明るさを描いたシリーズです。


昨年末、個展を終えてすぐに額屋さんへ持ち込んだこの2点。
色々と相談にのって頂きながら仕様を決めて、いそいそと額装をお願いしました。
今月はじめ、仕上がり連絡を頂いて受け取りに。
イメージしていた以上の素敵な額装を、描き手としてとても嬉しく感じています。
それらを抱えて帰る電車の中で、
ふと、大学で初めて描いた課題作品「菊」のことを思い返していました。

日本画の最初の課題によく取り上げられる「菊」。
写生をして、構図を決めて、和紙に水干絵具で着彩をしていく。
その制作の中で基本的な描き方の流れを教わります。
写生用には何種類かの菊の鉢が置かれており、
私は厚物の白菊をメインに、糸菊も白いものを何本か選びました。

この頃は今よりもずっと、「描くこと」が心の支えでした。
支えというよりも
すがるように描いていなければ、自分がそれすらもやれなくなる、
枷のような最後の砦のような、そんな心境で画面に向かっていました。
大学1回生の冬、この課題に取り組んでいるとき
実家で一緒に暮していた祖母の容態が思わしくありませんでした。
帰ろう、帰ろうと思いながら帰らず
ほぼ仕上がってからようやく見舞いに、
この白菊の写真を持って行きました。
縁起のよくない、暗い絵しか見せられないことは
悲しくも情けなくもありながら、同時にどうしようもないことでした。
祖母はそれでも喜んでくれたように記憶しています。
ただ、この白菊の時にも私は植物に光を感じていて、
暗く暗く背景を塗りつぶしながらも、それは光を見るためだったと思います。
きらきらと煌々と輝くというより
なにか浮かび上がるように、そっと静かにたたずむ光で
時に呼吸するように揺れる、そんなかすかなまたたきをもつ光です。
そんな風にとらえられるようになったのは昨年、
『葉の光る』と題する連作が出てきた時。
これまで自分は「時間」や「移ろい」を描いてきたと思っていたけれど
もしかすると「光」を描こうとしていたのかもしれないと、
そう感じるようになりました。
まだうまく見えないことばかりですが
この時にしかない「今」や
迫り来ては遠ざかっていく「流れ」や
「佇み」、「消失」、それでも残る「何か」。
それらの有様はおそらく「光」のようで
それを「命」ともいうのかもしれない。
そんな風に感じられるようになった不思議を思いながら
逝ってしまった祖母や友人に想いを馳せて
もっと深めていけるはずだと感じています。
『葉の光る』は、きっとそうした光の連作になり
その始まりにはあの白菊の絵が、
暗がりの中で静かに光っているのだと思います。
