生まれ出づるもの






ペン画をたまに描いています。







昨年の個展で飾った1枚は小さなものでしたが
今回はB4サイズに挑戦。


大きいサイズになってくると、構図を考えた方がまとまりよくなります。
そして描き込む密度のバランス。

そこを少し考えてやると、あとは「いつも通り好きに描くだけ」。
その状況を用意してやるのがスキルの1つと感じています。




はじめに大きく形を描いておく





このペン画はインドの古い図像「カルパヴリクシャ」を下敷きにしています。

特別好きなのは寺院に彫りこまれたレリーフで、
「植物の呼吸」を可視化したこの素晴らしい図像の名を
たくさんの方に知ってほしいという想いがあります。



また、私なりにイメージしながら描くことで
なにか近付けるのではないかと考えている、そんなシリーズ。





このカルパヴリクシャ
ちょっとオドロオドロシイな、と思っていますが
意外にも好意的な感想を頂戴します。


昨年の個展に出した1枚も、はじめは展示するつもりがありませんでした。


それはこの一連のペン画たちを、どう説明していいか定まっていないからです。




そうしたモヤモヤを知りつつも、「出しなよ」と言ってくれた知人。
その一言で展示しました。





結果、お買い求め頂き、またそのお客様と話す中で
「他の絵画作品とどう折り合いをつけて良いかわからないでいる」とお話したところ
「気にせずにどんどん描いてどんどん発表していけば良い」と、
そんな言葉をいただきました。



たぶんこのペン画は、そうやって人に支えてもらいながら
背中を押してもらいながら
私が練り上げていくものなんだろうなと感じています。






中学生のころから細いペンで文様のような形を描くのが楽しみでした。


うねるような弧の連なり、
濃い・淡いのバランス。

どれも私の「手癖」が作っていく奔流で
だからこそ「そこには何もない」、そんなペン画たち。




位置づけが定まらないのも
うまく説明がつかないのも
たぶんあまりにも自分に近い表現だからだろうと思っています。


息をするようにするりと出てきて
教育で学んだ専門性を含むことなく
ただただ紙の上でうねりながら育っていく。
noteのコメントで「ビースト」という言葉を頂戴して、
そう、まさに、それだと自分でもわかっているもの。

ペン先から出てくるものを見ていると
どこか自分に置いて行かれたような。



素直に描いて、出てくるものが
濃密で少し禍々しくもあるこの作品たちだということ。



綺麗な整ったものを描きたいわけではないけれど
長く付き合う「表現」にするために
やっていくことはまだまだあるのだと思っています。







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