図像とは1つの思想






個展のエスキースと並行して、ペン画の試作をしています。








「ペン画」「ペン画」と言っていますが、今回は筆メイン。

「カルパヴリクシャ」というインド発祥の図像を、どうにか呑み込もうと色々やっています。




毛筆に変えてみたのは
ある程度、大きい画面になると筆の方が速いのと、
普段使っている「水干絵具」を使って白黒じゃないものもできる。




毛筆とペンはやはり線の印象が変わってきます





白黒の方が嗜好には合いますが
「色」という引き出しも持てるならそれに越したことはありません。





試作を進める前に「カルパヴリクシャ」ってなんなんだろうと考えてみました。



植物の呼吸、渦、唐草、エネルギー。

泡のように立ち昇る、濃密な豊饒の呼気。


オリジナルの図像をよくよく見ると
シダ植物や胞子を思わせる「巻き込む細かな葉」のようなものがびっしり。
また、どことなく種子の胚も感じさせます。



そう考えたとき
インド、ペルシャから生まれたペイズリー模様もそうなのかも、と思いました。

松かさやマンゴーや糸杉をもとにしていると言われますが
ふと、これもカルパヴリクシャも、
種子からの芽吹きがその図像の根底にあるかのもしれません。



いずれにせよこの図像は「植物のエネルギー」を見えるようにしたものです。





オリジナルの構成パターンがなんとなくつかめてきました




1枚の画面に、カルパヴリクシャの「形」を使って
たとえば動物や人を配することもできます。


それでもそういう絵が全く浮かばず
一番しっくりするのは樹や植物をイメージして描くもの。


カルパヴリクシャは、植物以外では成立しないのかもしれない。
そんな風に思わされます。




必然的と言って良いほど、深く根ざして産み出された図像というのは1つの思想で
それはこんなにもぶれないものなのか、と
改めて感じ入っています。




まだまだ呑み込めないながらも
見えているものは少しずつ増えている。


その先に「なぜこれに惹かれるのか」の答えがあるように思っています。





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