「救い」がないこと






生きることの、深いところにおいて
「救い」はないと常々思っています。

というと、すごく
「暗い・重い・辛い」の三拍子のようですが(笑)、そんな深刻な話ではありません。



実生活に根ざした「問題」や「悩み」の解決はもちろんあると思っています。
解決策があってもそこに手が届かない、それも含めて。


「救い」という言葉には
すべて包まれてゆるされるような、絶対的な響きが感じられます。


そしてそう思えばこそ
生きているうちにはきっとありえない。




何がきっかけというわけでもなく、自然とそんな風に考えるようになりました。

そうしたことを描いた文学や創作はたくさんあって
むしろ文学作品の多くは、その救いのないことに寄り添う。


それが目指すところの1つなのかもしれません。






ひるがえって自分の創作、
私もまたそれを思って描いているように感じます。

寄り添いに行く、ほど実直な出方はしていませんが
私自身が見たいと感じた絵を描くこと、
私自身が昇華される景色を現すこと、
それが根っこにあります。


自分も本当に一人の人間だと思う時、

人間が、求めてやまないものを深く深く探って手繰り寄せていくなら
それはきっと誰しもがどこかに持つ、ありふれたものであるに違いない。


だからこそ、私の絵もまた
自分と同じ「救いのなさ」をごく自然に感じている人に届くのだと
そう思いながら描いています。



届きながらも、その人の視界をふさいでしまうことのないような在り方は

ぽつぽつと浮かぶ島々や
遠く隔たりながら光る星々、
ひっそりと川原に広がる石たちのような、そんな景色を思わせます。







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