
夜、布団に入ってから何とはなくぼやぼや思いを巡らせていると
ふいに思いつく絵があります。
明日起きてから落ち着いて書き留めようかなぁ、
いや、まぁ忘れないうちに書いとくか、というものもあれば
稀に、ハッと跳ね起きてそのままワッと書き出すものも。
寝る前にあまり興奮するのはよろしくないのですけれど(笑)
先ほどはその稀な「ハッと」の方がありました。

次回4月の京都個展のことを今週から考え始めています。
その個展のテーマで
今いちばん強く浮かんできているのは「夜」。
夜を描いてみたいと思っています。
水、石、花を
実際にある姿ではなく「心象」として描いたこれまでどおり
今回も「夜」というものの中身を取り出せたらと思っています。
ただ、私にとっての「夜」は
そのイメージの大半がずいぶん暗く、身動きのとれない重苦しいものです。
そうした暗く重いものをどう昇華できるのか、
それを9月からぼんやりと考えていました。
生々しい感情表現は創作の1つの魅力ではありますが
私はできることならそれを、
深くすくいとることで永い時間を持つものにしたいと思っています。
今の私にも、過去の私にも、これから先の私にとっても
深く響くものにすることが
きっと作品を見る方にとっても大切なことであると。

そうしたわけで
昇華できる見立てがないならば、まだテーマは変えられる、と
幾つか他の候補も出していました。
けれども先ほどの「ハッと」で
手ごたえをつかめそうな取っ掛かりが見えたように思います。
「夜は淵」というところで留まっていたものが
境界、平行世界、時間軸、多層…(だいぶ飛んでます)
うすよう、かさね、ひとひら。
一枚の薄い紙のようなものが
重なり、落ち、静かに流れていくさま。
そのかさね。
それを描き出しながら
あぁ、描けるかもしれない、と
今そんな風に思っています。

夜の中で
私はひとひらの紙のようだった
薄く、平たく、吹き飛ばされる
よるべのない
夜の淵で
欠片ではなくて
きっと、
ただ薄く心もとないまでに軽い
そのひとひら
夜の中で
私はひとひらの紙のようだった
浮かぶ言葉は時として、詩にもなってくれます。
私が「石」に憧憬を抱くのは
きっと人は欠片にもなり得ないひとひらのかさなりのようだと
そう感じているからかもしれません。
また明日落ち着いて、テーマ「夜」を検討してみようと思います。
