
10月も下旬。
朝、目を覚まして、うっすら明るくなっていくカーテンの、その光と陰をぼんやり眺めています。
オレンジ、金色、そこからすっと青に変わって、緑が入ってきて黄色く白く澄んでいく様子。
起きぬけの目は乾いているので、頻繁にまばたきをしぱしぱとしながら(笑)
その一瞬一瞬に変わっていく美しい色。
ゆるやかな波のようにゆったり変わるさま。
色が次第に白い光となっていくのを見ると「なるほど光の混色は“ 白 ”」と、合っているような合っていないような妙な理解を得ます。
この色を、この移り変わりを、自分の手から現したい。
これは多くの作り手が思ってきたことでしょう。
そして、それを完全に「再現」することは誰にもできません。
カメラを取り出して留めようとしてもできず、目にも焼き付けられず。
言葉でこうして書き留めても、その光景の輪郭さえ、曖昧なものになっていきます。
留めよう、創り出そう、とする人ほど「届かなさ」は近しいもの。
だからこそ、その一瞬は美しく。
また、留めようとする心のうちで、原型とかけ離れながらも、何か別のものとして新しく現れる。
それが、別の美しい一瞬を運んでくることは、限りない希望と歓びです。
この美しい自然を前に私たちが出来る「創作」は、それだけかもしれません。
見たもの、感じたもの、外からの何がしかを受け取って、それを自分の中で混ぜ合わせて。
そのままに出すこともあれば、そのエッセンスを抽出することもある。
先のコラムのペン画は「無心」のアウトプットでした。
絵画制作は、それとは違って「発明」なのだろうと、そんな風に感じています。

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