
先日、何の気なしにシリーズの卵が出てきました
仮に「世界のきれはし」と呼んでいます。

これまでにも少し手掛けていた、和紙のコラージュ作品。
絵画制作で出てくる、和紙の端切れ。
絵具の滲みや和紙の質感が美しくてストックしていたものを、切って、貼って、小さな作品にしていました。
Creema、minneでは「きりはりえ」としています。
minne「きりはりえ」シリーズ
その和紙を、今度は小さく細かな長方形に切って、並べていく。
出来上がったその矩形は、窓のようで、布のようで、一枚の遠い景色のようで。
これはきっと世界のきれはし、世界のひとひらなのだと思いました。

先ほどの青い1枚が「夏空」だとすれば、こちらは「シロツメクサ」や「紫雲英」のイメージ。
こんな風に色を並べて、1つの季節が感じられるのは、どこか平安時代の「かさねの色目」のようです。
けして、ピッタリ合うように切り貼りしているものではなく、その隙間や、少しのチグハグ感。
それを見ていると、古い裂を縫い合わせた昔の村の着物なども思い出されます。
工芸品の図録などを見ながら、モザイクや、螺鈿や、刺繍に「宇宙」を感じることがあります。
ちらちらと見え隠れする不均等さ、いびつさ。
それが星のまたたきのように見えるのでしょう。
蒔絵の漆黒の地塗りには「宇宙」を通した「死」も感じます。
何も動かない真っ黒な空間と、そこに浮かぶ金色の線、形。
そうしたところには、まだ届いていないけれど…と思いながら、調和とは、きっちりとはめこむものではないのだろう、そんなことに思い至りました。
ぴったりとはめこまれないことで生まれるゆらぎ、息づき。
その集合体を、遠くから俯瞰した時に見えるまたたきのようなものこそ、ハーモニーと呼ばれるものかもしれません。

「世界のきれはし」は、絵画制作の合間に少しずつ作っています。
私の絵の「世界」であった基底材・和紙のかけらが、世界の景色のひとひらになるのなら。
それはとても腑に落ちるものです。
この作品を集めて、小さな本にもできるかもしれない。
小さなきれたちを集めたその構想が、「大風呂敷を広げる」ことにならないように、丁寧に温めていこうと思っています。
