しらとりは|鳥というモチーフ





生き物をあまり描きません。

学生時代からなんとなくそういう傾向で、最近は「命あるもの」の活気が自分の絵の景色には、なかなか合わないからだろうなぁと思っています。
生き物を描けば、どうしてもそれが主役になってしまう。
植物も、もしかすると石にもなにがしかの「生」はあると思っているのですが、生き物の「眼」がどうにも落ち着かなくさせるようで、なんとなく生き物は描きづらい。

とはいえ、イラストではオオサンショウウオのブッセやちょっと目つきのキツイ動物を描いたり。
「動くもの」の躍動感やほっこりする感じは、モチーフとしてとても強いなぁと思っています。



そんな私ですが「鳥」はすこし別。
なんだか心惹かれます。
大学の課題制作「動物」ではひねくれて、クジャクを描いたほど(笑)



4月の個展用の作品にも、ふとした拍子に「鳥」が出てきます。
夜に舞う紙の中を、ヌッと浮かぶように飛ぶ鳥。




右端のこのフォルムで「鳥」と感じる人は少ないかもしれませんが(笑)、描いている時にふっと出てきて、その時に「この紙は、私にとって“牧水のしらとり”のようなものか」と感じたのです。





白鳥は哀しからずや空の青 海のあをにも染そまずただよふ  若山牧水『海の声』(1908年)




夜に舞うひとひらの紙の、その心もとなさや切り取られた形。
どこからともなく差し込む光を反射する白さ。

それらに「夜の中の自分」を重ねています。


牧水の「しらとり」は、広い空と広い海のただ中、どちらの「青」にも染まらない「孤独」の象徴でした。
ただその孤独は、開放感と清々しさを伴う。
そうしてこの歌の美しい情景が立ち上がっています。


対して私の「紙」は、狭く深い夜の中で、夜にまぎれながら、朝の光にはかすむ。
そんな、ある種、弱々しいものである気がしています。
それだからこそ、そこに、自分の描く意味を見出しています。




鳥は、古来「魂」を運ぶものでもありました。

そうしたことも思い出させる牧水の「しらとり」は、昔から心惹かれる歌。
それから、白居易の漢詩『觀幻』にある「鳥跡、空中に印す」。



実体とは別に、何か途方もなく大きな広がりや流れを感じさせる「鳥」というもの。
これからも絵の中に出てきそうな、そんなモチーフの1つです。









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