揺れるひなげし



制作の記録をノートにとっています。


学生の頃からとり始めたそのノートには、
作品の大きさや材料や工程、
はたまた思い浮かぶままの単語、イメージと現実のズレ、煩悶などなどがずらり。

近頃、近所でナガミヒナゲシが咲きました。

路上や空き地にポツポツと、オレンジの花弁を陽に透けさせながらゆらゆらと咲く姿が目をひきます。
指定されていないものの「危険な外来種」としても有名。



そんなナガミヒナゲシの作品を描いていた頃のページをめくると
制作まとめの末尾にはこう書かれています。



・岩絵具の面白さ、綺麗さ、柔軟さ。それに助けられて終わった。

・もっと切実な画が見たい。そうでなければならなかった、色・形・その場所。

・「こうでなければならなくて、だからそう描いた」
 そういう画を、作業的にでなく、その画への気持ちだけで最初から最後まで描きたい。




5月の連休に3日間スケッチし、2ヶ月かけて描いたこの作品は
どうやら当時の私にとって、なかなか思い残すところの多いものだったようです。



あれから8年。
そんな深刻な想いはどこへやら。


今はあのナガミヒナゲシを見ると古い知り合いにあったような心強さ、
それから、またがっぷり描きたいなぁというちょっと弾むような期待。


あの作品で描きたかった、
「熱をはらんだ想いが白い光にかき消えていく光景」そのままに
人は変わらずにはいられないのだと思います。

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