「好きな画家は?」
そんな話題になることがあります。
小さい頃、とてもすごい!と思ったレオナルド・ダ・ヴィンチ。
彼の人の理知的な線、執拗な描き込み。
理も情もすべてを完璧にまとめあげたその世界観は圧倒的です。
高校を卒業する頃に伊藤若冲を知りました。
精緻に生き生きと、その唯一無二の視点をとことん描き切るその筆の勢いに魅せられました。
パウル・クレー、下村良之介、いわさきちひろ…
すこし特殊な世界観を十分な技術で呼吸するように描く、そんな方々に惹かれます。
その中で2人、私にとって「特別な方」。
お一人は中野嘉之さん。
もうお一人は中野弘彦さん。
中野嘉之さんの描かれる白い水の流れ。
大学を卒業する頃、たまたま見かけた百貨店の展覧会場で立ち尽くしました。
自分が描こうとしている、描きたかったものがもう描かれている。
そんなことを体感するのはおそらくあれが最初で最後です。
見たかった光景が見られることは喜ばしいことですが
いかんせんそれが「自分がいつか描くはずだったもの」であり
技術的にも絵の深さにおいても及びもしない。
それから目をはなすことが出来ない。
様々な想いがないまぜになったあの作品たちに出会えたことは、本当にありがたいことでした。
もう一方の中野弘彦さん。
描かれた作品はおそらく大半の方にとってとっつきにくいものです。
先の中野嘉之さんの時のような、明快な衝撃というのではなく
なにか絵を描く人間にとって、
ひいては「人」にとって、鋭く突き刺さるものを突き詰められた方です。
中野弘彦さんの言葉に触れ、その作品を見るとき
わからなくても自分の中に留めておかなければならない、そんな想いになります。
絶筆の『沈む太陽昇る月』をはじめ、
人の心に残す作品というのは、こういう境地から描くのだと思わされます。
そのお二方のことは「好きな画家」の話題でなぜか上手く話にあげられません。
それは私の画家としての心の柱のようなもので
「好き」というにはどうもそぐわないからかもしれません。
その技法を研究して糧にするというより、
ふと行く先を見定めたいとき、そのお二方の画集をめくります。
そこにその絵があるだけで真っ直ぐ立てるような、
そんな絵を描かれたお二方を心から尊敬してやみません。