絵はいつ“絵”になるのだろう



一昨日、アトリエまでのみちみち、
短歌や俳句は良いなぁと思いながら歩いていました。


俳句は5・7・5、短歌は5・7・5・7・7。
音がその数をふんでいれば、またたくまにそれは1つの詩になる。
この定型の魅力はなかなかに強いものです。




はてさて、それでは絵は、いったいどうなったら”絵”になるのだろう。



考えをめぐらせた結果、
絵は、それを見た人が”絵”だと認識したときになるのかなぁと。

文字でも何でも、それをどう認識したかで存在の仕方が変わってくる。
もちろん俳句や短歌も、その定型の音の数を知っていればこそです。


なんでもそうなのだろうけれど、
その中で絵はわりと自由にやらせてもらえるなぁと思います。

文字を文字だと認識してもらうことを思えば
色と形が何かしら”絵”にみえれば、一気に描いた人とみる人はそれを”絵”だと共有できるのですから。



言葉が好きですが、
こうした曖昧さ、知識云々と少し異なるフィールドで感覚を共有できることが
私が絵を描いている理由の1つなのだと思います。


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