
「夜」の作品のために、ハガキサイズ程度の小さなものを、いくつか描いています。
「夜」の中に、紙が降る景色。
紙というのは、私にとって初めてのモチーフですが、モチーフ、心が動くもの、という意味の通り、変に考え込むことなく絵の中に入ってきてくれているなぁと感じています。

紙は、そのままでもとても美しい形で、それを折れば、そこに意味も生まれる。
切れば、より具体的な形も示せる。
書くことも、描くことも、染めることも、丸めることもできる。
千切る、包む、乗せる、濡らす、張り込む。
紙に親しんでいる文化が身近にあって、和紙をいつも使って、本も好きで、「紙」の意味にも興味がある方だとは思っていましたが、ここまで明確に絵に描くというのは、思いもよらないことでした。
至れば、知っていたことも、全く違って見えてくるなぁと感じ入っています。
まるで、新しい「言葉」を手に入れたような気分です。

描いていると「夜」についての理解も進んだように思います。
その1つはこんなこと。
この小さな絵を描く中で、ちびた筆の毛先に絵具を少しだけつけて、叩き染めるように色を少しずつ乗せていく、ということをやっています。
技法の名前で言えば「ドライブラシ」のような。
この描き方で、なんとなく自分の思っていた「夜」に近いものが描けてきた。
その技法を用いたことに明確な「理由」はなかったのですけれども、昨日、腑に落ちました。
それが「明暗顕漠」のこと。
このHPを始めたころにコラムでも触れた「色」の話です。
光の様相を表す言葉から「赤・黒・白・青」の色名が生まれた、というもの。
COLUM 光の色
ドライブラシで描きながら、この話を思い出しました。
そうして「夜は、暗で漠なのだなぁ」と。
いつものことながら、とても当たり前の話です(笑)
でも、だからこうして乾いた筆で少しずつ隙間を作りながら、暗く色を乗せていって、ぼんやりとした、瞼をとじた時のような少しざらざらした暗がりを、私は「夜」として描くのだなぁと。
対して、光はなめらかで透き通っていて、明るく顕わで。
そうして「水」は、そのどちらでもあります。
こういう腑に落ちる感じは、世界と自分が1対1で向かい合っているような感覚。
まだまだあるであろう「夜」の中のもの。
それらにもっと触れて、その中から良いものを、すくい上げられたらなと思っています。
